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2024年6月1日2日 大峰三重滝・釈迦ヶ岳ハイク

1300年続く役行者と前鬼後鬼伝説ゆかりの宿坊「小仲坊」に行ってきました。
 役行者の鬼退治についてはこちら → https://www.pref.nara.jp/61398.htm
 下北山前鬼集落小仲坊についてはこちら → http://japan-heritage-yoshino.jp/special/interview04/

5月31日(金)、土日の例会前日に年休を取り暗峠を車で越えて生駒山の鬼退治の地へ。
ここ「寶山寺(生駒聖天)」は古より大坂商人の信仰厚く続いてきたそうですが、役行者が修験道場として開き、前鬼と後鬼を改心させた地として伝わっているそう。念願の小仲坊に泊まるならばということで予習と日本酒の調達を目的に一人でふらっと訪れてきました。

で、例会当日。
この日のメンバーは4人。奈良県に入って車を走らせること2時間ちょっと。この山行のベース地小仲坊に到着。偶然にも年に一回の奉納祭が日曜日にあるそうで、慌ただしく準備作業が進んでいました。

初日は裏行場、三重滝(みかさねのたき)へ。
前鬼ブルーと呼ばれるエメラルドグリーンの淵「垢離取場(こりとりば)」は靴を脱いで渡渉。

前鬼川の左岸をトラバースし小仲坊から1時間半で三重滝の中段、落差50mの「千手の滝」に到着。
快晴で太陽の光が差し込み飛沫が綺麗でした。
ちなみに、下段は落差60mの「不動の滝」、上段は45mの「馬頭の滝」が連なり、一同に見渡すことは出来ませんが各々のスケールに圧倒されます。

続く行先は千手の滝の向かって右側を。簡単に言えば高巻きなのですが、ここ裏行場は修験の道。
数十メートル切れ落ちた崖に幅30cmフカフカの草付きをトラバースとか、一見頼りなさそうな鎖場とか、丸く磨かれた手掛かり足掛かりで岩を乗り越えるとか…。ほんと死ぬかと思った。

無事に修験道を突破し途中すれ違った山伏さんに報告して、小仲坊に戻ったらもちろんビールと日本酒。
宿坊なので禁酒なのでは?との懸念がありましたが、しっかり確認済み。ご主人の五鬼助さんもお酒好きとか。
「前鬼(猩々 純米大吟醸 無濾過生原酒 山田錦)」は金曜日に吉野の北村酒造で購入。ここもやっぱり所縁のね。

お待ちかねの夕ご飯は質素ではあるけど絶品。
特に白米は自分好みのちょっと柔らかめの炊き上がりで3杯ほどおかわり!
朝ごはんもご飯が進む献立でした。梅干しはめっちゃ肉厚で、すっぱかったー!

食後入れ替わり、関係者で前夜祭の宴が催されていました。
自分らはというと、残ったお酒とつまみで宿泊棟でまったりし、20時頃には布団を敷いておやすみなさい。
あ、お風呂もあるのでしっかり汗も落として快適に寝られました。

翌朝は5時前に起床し、本堂に手を合わせてから庭をぶらぶら。天気は快晴。この時は。
6時前には朝ご飯を食べられたのでささっと準備を済まし、6時半には出発。
苔むした岩とブナやヒノキに囲まれた沢地形を進みます。

これは「二つ岩」。岩の間に立つと五百羅漢と云われる岩塔群が望めます。

稜線に出たところは「太古の辻」。
ここから釈迦ヶ岳までは吉野と熊野を結ぶ大峯縦走路の修験道「大峯奥駈道」の一部を歩きます。
この日一組吉野から歩いてきた人がいて3日目だそう。来年5月に休み取って挑戦してみようかな。

昨日とは違って特に危険箇所もなく順調に歩いて登頂。
2024年はこの釈迦如来像が建立されてちょうど100年。1924年(大正13年)は十干十二支それぞれ最初が合わさる甲子の年だそうで甲子園完成の年でした。なんか縁起がいい気がします。

軽く休憩を取ったのち来た道を下山。
天気予報では昼から雨って言ってたけど、その通り12時ぴったりに降られる。
リーダー曰く、雨合羽を着たら雨が止むとのことなのでちょっと我慢しましたが、かなり強くなってきたので渋々着込む。が、30分程度で晴れ!なんなんですかね、これ。

小仲坊まで降りてきたら奉納祭は昼休憩。
関係者の方がキーマカレーを販売していたので頂戴し、少しお腹を満たす。

山を降りる準備をしながら、また山伏さんから宿坊や修験道の貴重なお話しを聞いて楽しませていただきました。
奉納祭の雰囲気も良かったけど、次は静かな小仲坊も過ごしてみたい。

旅の最後は山屋では有名らしいこのお店で早めの夕食に舌鼓を打ち、帰宅の途につきました。