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2016年2月6日 京都北山 金比羅山~瓢箪崩山

六甲や比良を除けば、近場のエリアに足を向けることが少なかったりするので、寒の時期であればヒルやあやつ熊らに妨げられることもなかろうと、春までの間に京都の山を歩いてみようと考えている。
この度は、叡山鉄道の駅へ容易にエスケープできそうな大原の里から洛北へと歩む低山逍遥なんである。

大原バス停から寂光院へ向けて歩を進める。
あそこらの山に取り付くよう。

寂光院のすぐ先にある「建礼門院侍女の墳墓」とあるところが登山口でもあるみたい。
山道に踏み出した途端、幾つもの踏み跡が見受けられ直ぐに迷ってしまう。
魚谷山での経験から、京都北山侮り難しを再認識するも、その後は割とすんなり進めました。

大原の里を見下ろすポイントが、ルート上の所々にあります。

最初のピークは翆黛山

続いて金比羅山山頂
金比羅山山頂と手前の展望スペースで一休み。

なんと書いてあるのか? 謎な石碑。
あちゃらの文字やろうなあと思いつつ違うような・・・、またそんなに古いものでもないように見受けられる。
司馬さんの本にあった古の湖西を開拓した渡来人の話を思い出す。
さほど遠くない場所なのでありえるかも、などとiPhoneを取り出し検索しかけるも、山行中の行動としてはいかにも無粋かなと気を取り直し帰宅してからのお楽しみとした。

洛北から市街地が眺めやれます。

金比羅山
近くにあるロッククライミングのゲレンデあたりでは更に眺望がGoodらしいけど、若干ルートが異なってくるんで今回はパス。江文峠に向かいます。
江文峠は山域を貫く車道に面している。
車道を渡ると京都トレイルの掲示があって、その少し先に瓢箪崩山登山口があった。

手前の寒谷峠
ここから尾根筋を少し登ると、

瓢箪崩山に到着。
山頂からは比叡山が見やれました。

下山途中の陽が射すエリアにて、冬枯れの情景にしばし見惚れる。
岩倉花園町方面の登山口に至り下山完了。
帰宅後、金比羅山の石碑について調べてみると、彼の文字はハングルではなくて神代文字なのだと。
神話の別天津神「アメノミナカヌシノカミ」と記されているらしい。
更に検索を進めてみるも怪しげであやふや。
学術的に詳述されたページは見当たらないようなんで早々に切り上げた。
で、書棚を探って司馬遼太郎の「街道をゆく1」本を見つけ出し、ウン十年ぶりに冒頭の「湖西のみち」を読み返してみる。
再読してみると、歳のせいかしら、綴られている事象のあれこれがすんなり察せられ面白みが際立ってくるよう。
これってやっぱり名著です。good
 

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