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2019年2月10日 京都北山 花背峠~芹生(せりょう)の里

会に提出した計画書には、峠下バス停で下車してから旧花背峠へと記したんですが、バスの車上で気が変わり、花背峠バス停から天狗杉経由で旧花背峠のルートに変更。
また、出町柳駅7:50発の広河原行に乗る予定が、時間を見誤って遅れてしまい、次の出町柳駅10:00発のバスに乗車…まあ、短い行程であるから陽のあるうちに下りてこれるはずと。うーん、あかんことばっかりで…

 

花背峠バス停
バスは峠下~花背峠間にてチェーン装着しはって…大凡20分くらいかかってたか、で延着。まあ、しょうがない。

そんなこんなで、歩き始めたのはもう正午になろうかとする頃。(~_~;)

 

初っぱなの尾根筋ではそこそこの積雪量だったりし、膝あたりまで踏み抜くことも。

持参したのは、チェーンスパイクのみ。

ワカンくらいは用意しとくべきだったかと後悔する。

 

天狗杉
一応、この日、唯一のピーク

 

天狗杉を経て、旧花背峠へ歩を進めます。

 

旧花背峠

こちらの地蔵堂、
帰宅後、所有する金久昌業著「京都周辺の山々」(昭和56年4月1日 第3版第3印)を開いてみれば、そこに載っている当時のモノクロ写真とほぼ変わりない。とはいえ、折々に手は入っているんやろうねぇ。

 

旧花背峠からすぐ先は、地図上では京見坂と記されていて、左手の杉木立が生育する前は京の街が見やれたらしい。

 

林業の作業小屋でしょうか。
内部は荒れ果てた様相で、今現在は利用されてないのかな。

 

廃屋川が流れる芹生谷(花背谷)を芹生方面へ歩んでるわけです。

 

そろそろ芹生か

あちらは芹生ロッジなのだと。

 

一昨年の秋、会の行事で花背山の家に宿泊し、翌日、雲取山を経て下山した折はこちらを通ったのでした。

 

分校跡らしい

 

「芹生の里」の指標あり。

点在する民家が白く覆われたモノトーンの景観が麗しい。

 

車道上の芹生峠を過ぎてより、雪は徐々に少なくなって、奥貴船橋手前では消え失せていた。

歩き始めてよりは、人と行き交うことなく、終始、静寂の中を往く心地良い道行きでした。

貴船神社に至ってみれば、その喧騒とのギャップに辟易しつつ、そのまま、貴船口駅まで歩んでお終い。

 

山を始めた頃に叔母から譲り受けた山と高原地図2003年版「京都北山」を参照して山行に臨んでいるわけですが、常々、現在のヤマレコの山プラ(山と高原地図のコースとコースタイムが落とし込まれている)の表記とは異なる部分があることに気づかされます。
2003年版では、花背峠から天狗杉を経て旧花背峠間は道として記されていません。
山行ごと、山プラか地図プリから地形図もプリントして持参しているけれど、そろそろというか、2019年版が発刊されたら、買い替えておきますかな…とはよけいなお話でした。

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