コンテンツへスキップ

2018年4月29日 根子岳と四阿山

四阿山も 百名山というか深田百名山ですね。

ブログ担当からすれば、スタンプラリーもどきの深田百名山に挑もうなんて意図は毛頭ないんですが…

 

山歩きを始めてしばらくすれば、なんやかや山に関するいらぬ知恵がつく過程で深田の著作ではなく(実際読んでる人は多くないと推察する)所謂「日本百名山」にはシカト気味に。更に時を経るごと、いらぬ知識は増大し、深田のさる女性に対してのえげつない仕打ちを知るに及んで、いかにも文学的…というかその文学者然とのあり様から、もしかしたらこの人の著作は読むに値するのかも?と再度ページを繰ってみれば、なるほど、山岳関連の読み物としては秀逸なんやと大いに感嘆す。読まず嫌いはあきませんね。

 

四阿山の項、本文より

「近頃は四阿山など誰もあまり見向きしなくなったようだが、私たちのような山のオールド・ボイズにとっては、草鞋の脚絆で山登りをしたものにとっては、必ず登るべき山の一つであった。私の親しい先輩の黒田正夫さんや、藤島敏男さんや、田辺和雄さんなど、みな大正時代に登っている。そして等しくいい山であることを主張している。ピッケル・ザイル党には向かないかもしれぬが、しみじみした情趣を持った日本的な山である。」

ここに惹かれていたこともあり、連休の遠出山行と相成る。

 

前夜、京都駅前から高速バスに乗り、6時過ぎに上田駅前着。

当日はこんな行事の折でした。

 

上田駅前7:05発の菅平高原行きのバスで菅平高原ダボスバス停まで。
乗車していたのは私を含めて3名のみ。他の方も登山目的であったとお見受けする。

 

明大の敷地内を通り、登山口に歩を進める。

 

菅平牧場に入り、入場料として200円を支払う。根子岳がそれらしく見えてきたけど…まだ遠い。

 

登山口まであと少し。振り返ってみると、既に白い連なりが見えていました。
北アルプスやね。
この辺りでも、既に1500mを超えているわけか。

 

バス停から50分ほど歩いて、菅平牧場管理事務所のある登山口に到着。
届けを出すポストがあったので、持参した計画書を投函する。
こちらで朝食と考えていたが、少し登れば東家があるみたいなんで、小休止後に出立。

 

東家着。
眺望を楽しみながらの朝食で大休止をば。

 

 

根子岳山頂。

 

四阿山
北面なのかな、残雪がけっこうあるみたい。

 

四阿山に向かいます。
200m下って、300m登る感じでしょうか。

 

笹原の間を縫って通る登山道を下り往きます。

 

大スキマに至り、根子岳を振り返る。

 

四阿山への登り返しでは、安易にリボンやトレースを追うことはせず、所々で地形図とスマホのGPSアプリ、ジオグラフィカを眺めつつの道行きで少々時間を要した。
単独やし、雪装備の用意はなかったので、慎重に行動するにこしたことはなし。

 

分岐手前で根子岳を振り返る。
四阿山とは違った意味合いで端正な容姿であるなあと見入ってしまう。

 

四阿山山頂手前の分岐を経て

 

四阿山山頂。
群馬県側の祠ですなあ。

この手前に信濃側の祠あり。

 

春霞でイマイチくっきりとしませんが、浅間山を背景に。

 

下山はあちらの尾根を下りて行くみたい。
先ほどの分岐に戻り、下山の途に。

 

 

 

小四阿

 

四阿山と根子岳が収まる構図は難しいんですがなんとか。

 

菅平牧場管理事務所の登山口に戻ってお終い。

 

横並びではあるものの、二つの山頂から眺めやったそれぞれの山容は相反するかのように似通ってはなく、いずれにも独自の美しい面持ちを見出せ、しみじみとええ山やなあと思わせる。

 

雨の休日、暇に飽かせて藤島敏男さんの著作「山に忘れたパイプ」(私の愛読書のひとつ)に四阿山の記述を探索してみれば…ありましたけど、

単に登った記述が二箇所あるだけで、紀行というほどの分量はなし。

先の四阿山への賛辞は、深田が山行を共にする折でのやり取りであったのでしょう。

 

更に余談、

田澤拓也著作の「百名山の人 深田久弥伝」によれば、晩年の深田のもっとも親しい山仲間だった藤島敏男さんは深田の終焉の地となった茅ヶ岳の山行に同行していたことが記されている。

 

更に…

田澤拓也による別の山関連の著作「空と山のあいだ―岩木山遭難・大館鳳鳴高生の五日間」もご一読を、オススメです。

岩木山に鳳鳴ヒュッテが設けられることとなった山岳遭難についてのノンフィクションなんですが、とてもせつないお話です。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です